サッカーにおける創造性、クエリエイティブなプレーとは何か。 | 日本で活動中のサッカー監督のブログ

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バルセロナで修行してきましたが、2017年より日本で活動しております。

今回はクリエイティブなプレーっていうときの
クリエイティブとは何かという話をします。

クリエイティブなプレーとは見ている人が
思いもしない意外な手段で局面を
打開することだと思ってます。

例えば後ろから出されたロングボールをそのままダイレクトで
ゴールに突き刺したり、予想もしないフェイントで
何人も相手選手を抜いたり。
これらは技術的な創造性に基づくプレーといえます。

もう一つはグアルディオラのバイエルンやバルサが
実践していたような戦術的創造性です。
つまり観ている人には思いもしないところから
選手が表れてボールを受け、気がつくと
相手守備を崩しているというプレーですね。

もう一つは身体的創造性です。観ている人が
思いもしないスピードや高さで相手を圧倒して
局面を打開したり、危機を救ったりするときに
言えるかもしれません。

しかし、これらの創造性をいかに伸ばすかという
ところは多くの議論があります。
ある人は

「子供のときは創造性を育てるために詳しい戦術を教えるべきではない」

「創造性を育てるためにコーチから頭ごなしで教えず、子供に考えさせよう」

とかいったりしますね。

そのときの創造性とはどういう意味なのかも曖昧です。

ここからは僕の見解です。

技術的創造性について
可能性の低いプレーでもチャレンジすることに
ついては褒めるときは褒めるべきですが、
無謀なプレーに対しては指摘をする必要があります。
何をもって無謀ととらえ
何をもって勇気とみるかは
指導者の主観によるところが大きく難しいですが。

例えば自陣でフェイントをして成功した場合は何もいいませんが
失敗したときにはやはり指摘が必要です。
「そんなプレー二度とするな!」と頭ごなしの否定ではなく
「こちらにパスしたほうが簡単だと思うけどどう思う?」とか
という提案方式が多いかもしれません。
あるいはフェイントをした場所が相手陣内で
うまくいかなかったとして

「お前は下手くそなんだから、そんなプレーはするな」
というよりも「こうやったら次はうまくいくかもしれない」
と伝えられる指導者の方がいいかもしれませんね。

逆に監督からあれをやって駄目、これをやって駄目
あるいは失敗した選手を頭ごなしに怒る
ような指導をすると選手は萎縮してしまい
消極的なプレーに終始します。
日本人はシュートを打てる時に打たないと
ヨーロッパの人によく揶揄されます。
これはミスをするという責任を背負いたくない
国民性もありますが、失敗したら怒られたり
罰を受ける環境で育った影響も大きいと思います。

またストリートサッカーがさかんだった以前と比べて、
クラブが普及した今はクラブで指導者が小さいときから
効率的なサッカーを子供に教えすぎてロナウジーニョや
デル・ピエロやジダンのような技術的創造性の
ある選手が減ってしまったという人もいます。

次に戦術的創造性について
技術的創造性に対して頭ごなしに規制を
かけてはいけないという話をしましたが
戦術的創造性については全く逆で
局面ごとに条件付けを行い、
選手に適切な選択肢を伝えてできるように
しなくてはいけません。
日本の育成で一番欠けている部分が
この部分だと僕は思っています。
なぜならこれをやって駄目、あれをやって駄目と
規制をかけることは指示としては簡単なのですが
局面ごとに選手がどのように動くべきかを
きちんと整理して選手に伝えて実現させる
ことはそれ以上に難しいからです。
どうやって相手陣内までボールを運んで
相手ゴールを陥れるかを個々人で判断しては
意思統一ができず、連携できません。
かくいうスペインでもこれらをきちんと整理できてる
指導者は限られますが。

相手の守備の仕方に対して多様な選択肢を持てる選手が
これにあてはまります。しかも日本では戦術は
ある程度、大きくなってからで技術を磨くことに
小学生時代は集中した方がよいとされることが
多いですが、スペインは逆に小さい時にこそ
攻守の戦術を叩きこまないと、反射的なスピードで
動けなかったり応用が効かなかったり
してしまうという考え方をします。

碓かにスライディングタックルをしてはいけないところで
してしまったり、ヘディングを反射的に誤った方向に
跳ね返してしまったりするのはW杯のレベルでも
観られました。
またいつどのタイミングでスペースに
入るか、どうスペースをつくるかも
子供のことからではないと
完璧に身に付きにくいです。

ということで長々とサッカーにおける創造性の話をして
きましたが、創造性を潰すから子供たちに
作戦盤を使って戦術を教えるべきではない
というときの「創造性」は日本では曖昧に扱われすぎていて
逆に戦術的には創造性を増やすためにこそ、
戦術盤を使って局面ごとの選択肢を説明する
必要があるという話でした。





戦術的創造性については